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蘭印滞在顛末記 後編

(前編からの続き)

 ここに来るまでは毎日飲んでいた酒もほとんど飲まなくなった。イスラームの影響の強い地域なので近所には売っていないし、物価比で考えるとかなり割高。まあ、こういう機会なので肝臓を休めておこうという衰えから来る賢明な判断やここで飲みまくったらアル中になりかねないという危惧もあったが、やはりこの先に控えている超薄給は大きい。今までのペースで毎日ガバガバ飲んでいたら経済的に破綻するのは火を見るより明らかだ。


 そして止めは国を挙げてのポルノ禁止令。xvideoだのX Hamsterだのエロ動画の有名どころにはアクセスすら出来ない。女のコと飲めそうな店もちらほら見かけるものの外国人がほとんどいない狭い町というもあり、どこでどう噂が広まるかも分かったものではない。同僚の先生方はほとんど女性で学部も文系だけに女子学生が半分以上、おまけに男子学生も超真面目ときたもんだ。そんな環境で着任前から変態教師の烙印を押された日には針のムシロもいいところ。内偵も泣く泣く自粛するしかなかった。


 そんな折、ビザの更新と気分転換を兼ねて数日ばかりクアラルンプールに出た事で娑婆の空気を無駄に吸いすぎてしまった。着いた日の晩、誰の目を憚る事なく焼き豚をアテに飲むビールは正に自由の味がした。屋台村のステージでカラオケを熱唱する元美少女達も今の俺には多少薹の立ったAKBにしか見えない。そしてその次の日はこの町に住んでいる友人夫婦の家に厄介になって一緒に美味いものを食うなど、久々の娑婆を満喫した。


 こうなるとむしろ気分転換は完全に裏目に出てしまい、モチベーションは回復するどころか完全に消滅してしまった。基本的に人にものを教える仕事は自分に合っていると思っているし、授業以外で学生の面倒を見るのも嫌いじゃない。しかし家賃水道光熱費以外は全部自腹。友達もいない、1カ月先の見通しも立たない環境では如何ともしがたい。1年まとも働いても往復の飛行機代すら回収出来ないほどの薄給と今の状況が完全に受け入れ側の問題とあってはなおさらの事。おそらく物事がそれなりに進んでいれば、そこまで気にならなかったであろう数々のマイナス要因が不満となって雪だるまのように膨れ上がった結果、頭の中に残ったのは撤退の二文字のみ。


 2月に入ってから学科長が担当省庁のケツを叩きにジャカルタへ行くと言ってはくれたが、すでに撤退する気持ちが固まっていたし、交通費や労力の無駄になるので止めにしてもらった。何よりも組織的な問題なのでわざわざ行ったところでそこまで状況が変わるとも思えない。今は大学関係者の挨拶など事後処理のために滞在しているが、来週末には娑婆に戻る。


 以上、約2カ月半のインドネシア生活の顛末である。さあ、これからどうしたものか。中年の放浪は未だ終わらない・・・。

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蘭印滞在顛末記 前編

 
 11月の終わりからインドネシアのとある地方都市にいる。その町にある国立大学で日本語教師をしていた友人から後釜として誘われたからだ。最初は生存ラインぎりぎりの超薄給の上、往復の飛行機代すら支給されないと聞いて止めるつもりだった。しかし冷静に考えてみれば日本で働いてたって大したカネが残る訳でもなし、国立大学で教えていたとなれば辞めた後でも聞こえがいい。それにこんな機会でもなければ一生インドネシアに行く事もなかろうと、当時バイトしていた石垣島の生活に飽きていた事もあってあっさり決めてしまった。四十も半ばに差し掛かっても結婚どころか定職すらないがその分しがらみもない。我ながら実に身軽な身分である。


 閑話休題、新学期は1月からとは友人から聞いていた。ただインドネシアは初めてなので着いて早々仕事開始ではきついし、多少なりとも言葉の勉強もしないと仕事はともかく生活に困る。何より寒いのが苦手なので一日も早く日本を脱出せねばとフライングで出国。到着後の最初の1カ月は友人に付いて授業を見学したり、町を案内してもらったりして過ごした。


 肝心の大学の様子はと言うと、学生は歳の割に幼いものの素直でかわいらしいし、同僚の先生方もおしなべて感じがいい。正直大学のレベルが高いとは思えないが、こちらの日本語教育のスキルを考えたらおあいこだ。生活面でもインドネシアの料理は充分美味いし、年末までは任期の関係で友人もこっちにいたので話相手には困らない。住居は大学のキャンパス内にある職員宿舎でシェアハウス形式の広い一戸建。多少古いものの部屋は広くて清潔、何より着任前でもタダ、とここまではまあ順調だった。


 ところがビザでつまづく事になった。任期前なので観光で入国したが、延長すれば最長二カ月までは滞在出来る。そのビザが切れるまでには新学期が始まるし、それと多少前後する形で就労ビザの申請書類も下りるでしょ、と高を括っていた。ところがどっこい、事務方からは何の連絡も来やしない。確かに今期からビザの要件が厳しくなるとは来る前から友人から聞いていたが、国立なんだし何とかするでしょと簡単に考えていた。


 しかしその予想が甘かった事を後になって思い知らされた。新学期ももうすぐ始まる1月中頃になって必要書類が届くまでに最低半年はかかる、と職員宿舎のルームメイトで法学部の教員であるアフリカ人が教えてくれた。彼曰く、手続きが始まっているかどうかも怪しいから事務にきちんと確認した方がいいとの事。もともと事務方の仕事が救いようもないほどトロいとは友人から聞いていたが、その上ジャカルタの関係省庁もいくつか経由するとなると確かに半年かかるかもしれない。しかもようやく1年の就労ビザが下りても延長は不可。2年目以降も大学に残るならもれなく再び最低半年の書類待ちを余儀なくされるらしい。最近、中国人労働者が増えている事もあって外国人への就労ビザの発給が厳しくなっているらしいが、不条理なコントにも似た全くもって馬鹿げたシステムとしか言いようがない。


 しかし、それでも契約期間が特に定められていない自分はまだいい方なのだ。というのもルームメイトの彼は3年契約で来ているのにも関わらず下りるビザは1年。ビザ待ちの時間を含めたら任期満了まで最低4年半はかかる計算になる。日頃は温厚で物静かな紳士である彼ですら馬鹿馬鹿しくなって1年で帰る事にしたと熱く語ってくれたが、それも当然の話である。


 ともあれ気が付いたら見事な中年ヒキニートの誕生である。いつから仕事が始められるかすら分からないから授業の準備もやりにくいし、何よりモチベーションの維持すら困難だ。気分転換に町歩きをしても特に見るものもないから1カ月もしないうちに飽きた。なるほどこれではこの町の記事をネットで検索してもヒットしない訳だ。いっそ気分転換に他の街でも旅行しようかとも思ったが、1カ月先の予定も立たないようではそうそう無駄遣いも出来ない。そのうち雨が降っているからと外に出なくなり、晴れたら晴れたで日差しがキツいからと天気に関係なく部屋に引きこもる日がめっきり増えた。


(後編に続く)      

大阪のおでん屋

 
 大阪の大学に通っていた事もあり年に一度くらいは大阪に行くが、その度に必ず一度は行くおでん屋がある。通い始めてかれこれ10年は経つだろうか。表通りから細い路地に入る角にあるものの、よく見ないと通り過ぎてしまうような間口一間半ほどの小さな店。21世紀までよくぞ残っていてくれたとしか言いようのない、昭和30年代の駄菓子屋そのもののレトロな佇まい。おでんと一緒に店まで煮〆てみたらあんな雰囲気になるんだろうか、とにかく店自体が独特のオーラを発している。


 店の中には何とか四人が座れるテーブルとおでんのストックを収める冷蔵庫のみ。外にはビール用の冷蔵庫と中に入れなかった客のためにカウンター状に板が渡してあるだけのスパルタンな店構え。扉は引き戸のレールの上にはみ出した冷蔵庫のせいで暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが常に開け放し。そして何よりもトイレもない。


 そんな店がなぜ残っているのかと言えば、多分あまり評判の芳しくない、微妙な地域で開発が進まないのとやっぱり安くて美味しいから。テイクアウトの客が多いのもあると思う。味は醤油ベース。元々労働者が多い地域だった事もあってか、かなり甘めでこってり濃厚。個人的には少し甘いけどむしろそれがここの味だと思う。更にちょっと変わり種の具もあって、大阪出身の知人に言わせると「大阪のおでんとはまた違う。」そうだが、それもそのはず。店を始めた先代のオヤジさんが関東出身だったそうで、昔は更に濃厚だったらしい。


 ともあれ地元の人がひっきりなしに訪れている上、店に置いてるタッパーを買ってひとりで何十個も買って帰る人も結構いるから、店と同じような色になるまでしっかり煮込まれた具をゲットするのはタイミング次第。中のテーブルで寛いで食べるのでさえ、時間を外さないと難しい時もある。


 ちなみに土地柄、客の中にはヤのつく自由業の方々も多く、タッパーを持って買いに来る客の多くは事務所に持って帰るためだと現店主のおばちゃんに聞いた事がある。だから店で食べていく人は滅多にいないが、かなり昔に一度だけそのちゃぶ台同然のテーブルで差し向かいに座って食べた事がある。坊主頭に亀田兄弟がしているような色つきのメガネ、突き出たお腹にひときわ輝くドルチェ&ガッバーナの派手なベルトのバックル。何より包帯をぐるぐる巻きにした指がどうみても他の指に比べて短かったのを鮮明に覚えている。店を出た後「狼と子羊は共に草を食み・・・」なんて聖書の一節があったよなとぼんやりと考えたりもした。案外、神の国は大阪の近くまで来ているのかもしれない。


 そういや普通の客でもアナーキーなのもいた。作業着を着たおっさんが昼間からアサヒの大瓶をぐいぐい飲んで勘定を済ませたと思ったら、何事もなかったかのように通りに停めてあった大型スクーターに乗って去って行った。飲酒運転の厳罰化の後にしてはえらくフリーダムなおっさんである。まあ、確かに昼間から飲酒検問はやってないけどね。なお、店の電話のあるところに最寄りの警察署の電話番号を書いたメモが貼ってある。普通の地域なら目が点になるところだけど、この界隈じゃあさもありなんというところ。 


 こうして冷静に文章にしてみるとなかなかカオスな店ではある。大人の店と言えば聞こえがいいが、むしろ吹き溜まりと言った方が適切かもしれない。しかし、どこにでもあるような小ぎれいで愛想だけはいい店には絶対にない、その土地にどっしり根付いたが故の泥臭さにむしろ心安らぐのだ。「久しぶりやね。」とおばちゃんに迎えられ、冷えたキリンをぐいっと一発。そしてスジを筆頭にその時に丁度煮えてる具をおばちゃんに聞きながら選んで食べるのは大阪での大きな楽しみのひとつだ。最近、おばちゃんも歳だそうで週末だけの営業になってしまったが、無理せず一日でも長く続けてほしい。
 

新発見!!インドのおばさんもやはり年齢は気にする。   お向かいの奥さん編

 
 鉄人28号、それが北インドの都市部の既婚中年女性、特に下層より確実に上の層に属する女性の体型をわかりやすく伝えるために僕がよく使う表現だ。小顔で手足は長いが、胴がとにかくまん丸、パンジャービードレスとかスーツと呼ばれる膝丈でだぶだぶのシャツがはちきれんばかりの豊満ボディ。若い頃は小鹿のように可憐な乙女も結婚して、一児を授かるや否やごくわずかな例外を除いてこの体型に早変わり。流石、諸行無常の理を説いた釈尊の生まれた土地だけの事はある。ここで映画女優のようなインド美人はどこにいるのか?という疑問を持つ人もいるだろうが、それはむしろ僕が聞きたいくらいだ。


 原因は人種として本来持っている骨格に起因するところが大きいと思われるが、その他女性が家の外に出る事をよしとしない習慣がまだまだ根強く残っている点や家事の役割分担のかなりの部分を成長した娘や使用人が担っている点、夜寝る前に炭水化物たっぷりの食事を摂る点も見逃せない。ともあれ、この鉄人28号という表現はこの向かいの奥さんと日々接した結果、帰納法的に生まれたのだ。


 話は変わるが、僕は現在四十路の独身だ。別に結婚願望がないわけではないが、相手もいなければ妻子を養うほどの経済力もない。まあ、好きな事を最優先してきた結果だがインドではそう易々とはこういう立場を理解してもらえない。何故なら結婚はインドにおいては出家やそれに近い立場の人間以外は必ずするべき神聖なる社会的契約であり、一族総がかりで当たる人生の一大イベントだからだ。そのため、ある程度の年齢を過ぎて結婚していない者は日本で×2以上を経験した人に相当するほど「この人なにか問題があるんじゃないか?」と奇異の目で見られる羽目になる。これがただ出会っただけの人にならば適当に理由を言ってお茶を濁す事も当然出来るが、実際に店を開いて腰を据えるとなるとそうもいかない。ただし、日本人は実年齢よりも大分若く見られる場合が多く僕のような中肉中背の体型なら30前後、下手したら20代後半でも充分通る。しかも、年齢を聞かれることは既婚か未婚かを聞かれるよりもはるかに少ないので、この歳まで独身でも年齢を言わなければ特に詮索される事はない。


 さて、この向かいの奥さん、鉄人28号並に貫禄は充分だがよく見ると肌はそこまで荒れていないし、よくよく見ると可愛い気のある顔をしていない事もない。更にふたり子供がいて上の息子ははたち前後、という事は20そこそこで結婚して数年で生まれたとして四十代半ば。推定年齢と実年齢の誤差は±3ほどで、ほぼ僕と同い年と言っていい。ただ、ここで3日置きくらいに「あんた、なんで結婚しないんだい?」なんて詮索されるのもうんざりなので実際の年齢は口が裂けても言えない。そこで「おばさん」を丁寧にした英語の「aunty」とヒンディー語の敬称表現「जी、jee」を足した「アンティー・ジー」と呼び、自分が年下である事を強調しながらこの部屋を引き払うその日まで過ごしてきた。


 それが店を引き払う際にこれまでで初めてお向かいさんの家でゆっくり座ってお茶を飲みながら話をする機会があった。2年も住んで一度もなかったのかと思われるかもしれないが、別に彼らの事が嫌いだった訳ではない。ただ、ご近所さん全体と上手くやっていく上で中立の立場を貫くためにも特定の家族と仲良くし過ぎないように配慮していただけである。だが、今やその必要もなくなって、むしろこれまでより気楽に付き合えるようになったという訳なのだ。


 さて、その席上での話。

 お向かいの娘さん:「ところであなたはいくつなの?」

 洗濯屋犬:(来た!まあ、もう引き払うし、この際いいだろ。)「この前43になったよ。」

 娘:「え?見えない?!」

 そして一瞬の沈黙の後、奥さんがキッチンから飛んで来た。

 奥さん:「え?一体アンタにはアタシが一体いくつに見えてんだい?そんなに変わんないクセしてアタシをおばさん呼ばわりして、全く!今度からदीदी(deedee、お姉さん)とお呼びなさい!!」


 いやあ、この2年間我ながら心の中で申し訳ないとは思ってたんですけどね。今までごめんなさい、「アンティー・ジー」。(笑) それにしても、もう母として妻として生きているとばかり思っていたインドの中年既婚女性の中にそういう部分が残っていたとは新たな発見でした。


 ちなみに更に大きな発見が今ここでもうひとつ。今まで僕が結婚出来なかったのは多分そういう女心が分かってなかったから。いやあ、ちょっと遅過ぎたかな・・・・・・。

 हे राम......... (He Raam.....,おお、神よ・・・)

 

 

洗濯屋犬ちゃんと仁義なき隣人たち  右隣の若奥さん編 


 ニューデリー駅前のエリアはパハールガンジの名で知られており、構内を出てすぐ目の前にメインバザールという通りが伸びている。デリーは首都圏人口2000万人規模の世界的な大都市ではあるけれど、外国人を受け入れる安宿街はほぼここだけと言っていい。だから、デリーにいる外国人低予算型旅行者のほとんどはこのメインバザールに集まってくる。いわばバンコクのカオサン通りやカトマンドゥのタメル地区に匹敵するアジアでも有数の外国人が集まる安宿街であり、この通りから外国人旅行者の姿が絶える事はない。しかしながら、この光景はあくまでも表面的なもの。実際にはインド人が当たり前に暮らす広大なエリアの中、毛筋ほどの通りを外国人旅行者が間借りしている程度なのだ。うちの店はそんな毛筋ほどの通りから更に細い路地を隔てた奥の奥、一般の庶民が住むエリアの一角にある。これからお話しするのはその泥舟のような店を最後の砦と頼む崖っぷちの中年男と仁義なきインドの一般庶民との間に繰り広げられたショートコントに限りなく近い、不毛な戦いの物語である。

 それは休業中に店内の掃除をしていた時の事。資源ごみを屑屋で換金しようと店の出入り口に置いた瞬間、右隣に住む若奥さんにロックオンされてしまった。この若奥さん、一見まだ娘々した雰囲気が抜けない可愛らしい人なのだが、逆に言うと天然で店に搬入している什器など何でも欲しがるなかなか困った人なのだ。

 若奥さん(以下「若」):「それ屑屋に持って行くんでしょ?」(意訳すると「それちょうだい。」)

 やっぱりそうきた。見られた瞬間から嫌な予感はしていたけど、これもご近所付き合いの一環。換金してもどうせ小銭程度だし、わざわざ持って行くのも面倒だからこの際上げてしまおうか。

 洗濯屋ワンちゃん(以下「犬」):「欲しいんですか?よかったらどうぞ。」

 と、返事をするや否や真向いの家族(右隣とは親戚らしい)まで群がってきた。そしてめぼしいものを漁ると残ったごみを指差して、

 若:「散らかってるけど・・・。」

 犬:(キレ気味に)「散らかしたのはあなた達でしょう?!僕はタダで上げたんだから、掃除はそっちでして下さい!」

 流石に向こうもモノをもらった弱みもあり、素直に掃除を始めた。そこへ斜向かいの住人、顔はえらく小さいけど身体はごっつい、まるで鉄人28号みたいなおばちゃんとその娘(娘は細いが時間の問題か。)がすかさず店内を覗き込み、

「何だか片付けてるみたいだけど店はもう閉めるのかい?え?まだやるの?ああ、そう。ところでそのランプシェードなかなかいいじゃないの。いくらしたんだい?」

 といつか来るであろう閉店を見据えて虎視眈眈と獲物を物色していた。おお怖・・・、これだからうかつにドアを開けたままにしておけないのだ。

 閑話休題、しばらくしてきれいに片付いているかと店の外を見ると、ごみを入れたバッグまで持ち去ろうとしている。そのバッグは丈夫なので後で収納に使うのだ。

 犬:「そのバッグは返して下さい、後で使うんですから。」

 すると、真向かいのおばちゃんが後で返すというので仕方なくしばらく貸しておく事にした。しかし、ここでの妥協が更なる問題を引き起こすのはよくよく考えればすぐに分かる事だった。あくる日、真向かいのおばちゃんにバッグを返すように言うと、

 「私んとこにはないよ、右隣の子(若奥さん)に聞いとくれ。」

 やっぱり・・・、一瞬の手間を惜しんだ自分が悪かった。仕方なく右隣の若奥さんに聞くと、「だって持ってかれちゃったんだもん、ごみ収集の人に聞いてみるから。」だって。困るがな。

 その後、しばらくしてごみ収集の男がやって来て、というか多分呼ばれて何やらしゃべっている。

 「そんなもん戻って来る訳ないだろ。もう車で遠くに運んじまったよ。無理無理。」

 そりゃそうだ。あんな大量のごみ、すぐ近所に廃棄されようものならいくらインド人でも悪臭でとても住めたもんじゃない。正直、あんな安物のバッグなどどうでもいいのだが、素直に「ああ、仕方ありませんね。いいですよ。」などと言おうものなら、今後何かを貸してもまず戻ってこないであろう事は容易に想像出来る。庇を貸せば母屋取られるこの界隈で、必要以上に舐められる事は今後の更なる苦難を自ら招き入れる事を意味する。ここは取り返せないまでも出来る限り追い込みをかけねばなるまい。

 犬:「では致し方ありませんね。新しいバッグを買って返して下さい。」

 若:「ええ?だって、ゴミ屋が持ってっちゃったのよ。」(意訳「私は悪くない。」)

 犬:「返して頂けないんなら、今後はあなたを泥棒呼ばわりさせてもらいます。」

 若:(予想以上に動揺して)「何で私が泥棒呼ばわりされなくちゃならないのよ?!」

 犬:(お、意外に効いてるな、よしよし。)「だって、僕はあなたにモノを無料であげた上に、言われた通りバッグまで貸したんですよ。それを返してもらえないのであれば僕にとって盗まれたのと実質的に同じ事。それにあなたは僕からモノをもらっておいて更に僕から物を奪ったんだから泥棒だけならまだしも、その上に恩知らずじゃないですか。もうこれ以上議論の必要はないでしょう。とにかく新しいのを買って返して下さい。」

 若:「じゃあ、返せばいいんでしょう。夕方までに返すから。」

 犬:(おお?!キタ!)「はい、そうして下さい。夕方まで待ちますから。」

 そう彼女は言ったものの正直半信半疑だったし、ここまで追い込みをかけられた事で充分満足だった。おまけに結構な騒ぎになって近所の他の人も聞いていたが、ここの家族やそこに出入りする人達のお行儀がいまいちよろしくないせいか、はてまた、僕がいつもニコニコと愛想良く接していたせいか、何となく若奥さんに不利な雰囲気が出来ていた。そんな周囲の理解を得られた事が何となく嬉しくてバッグは更にどうでもよくなっていた。

 ともあれ、そのバッグは数少ない対インド人との勝利の証として物置きの隅に今もある。ちなみにその若奥さん、二日くらいは微妙な顔をしてたけど、それからは至って普通。尾を引かないから楽と言うか、何をやっても所詮蛙の面に小便と言うか・・・。

 भगवान तुम से बचाए ......(Bhagwaan tum se bachaae, 意訳:まいったなあ・・・。)



プロフィール

洗濯屋犬ちゃん

Author:洗濯屋犬ちゃん
10代より世界中を旅する夢に執り憑かれ、初海外でインドの泥沼に嵌まる。以後、社会的信用と引き換えに放浪の日々を送るものの四十路に入ってようやく自分の行き場がない事に気付く。

その後インドで起業するなど無駄な悪あがきを繰り返しつつ、また放浪の日々に身を投じる。趣味は飲酒、インド人をいじる事、旅行、街歩き。

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